佐藤 雅史

「それでは朝のご挨拶からいきましょう、皆さんおはようございまーす。」
一人称は「おじさん」が一番多い。(「僕」とも言う。)
札幌出身の東大文I卒。第5版までの『東大の英語25ヵ年』の著者でもある。
「書くのが嫌になったんでもう辞めました。」
小山先生並のひょろひょろした体つきと、竹岡先生、森(宏)先生同様のレンズの大きい眼鏡が特徴。
あだ名は「アンドリュー佐藤」。
清掃のおばちゃん(おじちゃん)と似たような格好をしている時もあり、師のことを知らない人は本気で間違えるかも。
授業の始めの挨拶では、お辞儀をする際掌を頭に当てることが多い。ヘッドセットが落ちないようにするためか、ハゲてる脳天を見せたくないからかは分からない。
駿台英語科の批判魔2トップの竹岡先生、表先生に絶賛される程の英語力の持ち主。彼らとは仲が良いらしいが、彼らが教えに来ない校舎で師はこの両人の教え方を批判している。
夕陽丘予備校を掛け持ちしており、またMATにも忙しい。
そのため駿台での通常授業や講習はかなり少ないレアキャラ。
大阪→SCの『英語構文S』とLEの『語法文法研究H』、難関大理系コースの『スーパー/難関大英語研究』、REの『私大英語研究A』、MCの『英文読解S(D)』
上本町→SA・SB・LAの『英語構文S』
のみ担当。
授業は進むのは安定して遅いが、ハイクオリティーである。
講義を聞けば、彼が自分で言う通り「今までとは違った英語の世界が体感出来る」だろう。1歩踏み込んだ解説をしてくれる貴重な人である。「英語」そのものを熟知していると思わせるような授業をし、英語の機能を読み取る「構造のシグナル」を伝授する。これが非常に役立つ。
しかし、凡人には到底付いて行けない授業をも展開するため、一部の生徒からの支持は厚いが、全体的な評価はそんなに高くはない。
また超々変人かつ滑舌が多少悪いため、評価の良し悪しはかなり分かれる。
因みに師のテキストは書き込みが一切ない。場合によっては、貸し出し用のテキストで授業をすることも。使用するのは英文を書き写す時だけで、基本その場で解いていると思われる。流石である。
「ウフ」「ジロリ」「ップゥーゥ」「ピューン」「ヒャッホー」「ピンポーン」「すまんなー」「出っ来上がりー」
ある程度英語力がある人なら師の授業で言われた読み方をきちんと復習し、他の授業や自習の際に実践していけば1年で英語力が跳ね上がり、点数になって表れるだろう。構文に対しての考え方も今までとは変化してくる。師に教わった読み方をマスターして急激に英語力が伸びる人も多い。信者ではなくても、師の授業を受けた生徒ならば他の先生の授業が物足りなく感じてしまうこともある。その先生が授業中に「・・・・・・だと見破ることがポイントです。」なんて言ってたら、何だかやり切れない気分になってしまう。
他の先生だと軽く触れたり、殆ど触れないような所も奥深く追求していくので、その文章に関する全てのこと(構造、細かな内容、背景、筆者の癖など読解に関しては求められていないことまで)が分かり、その時は充実感で満たされるが、やはり授業進度は大変遅い。『英語構文S』はテキストの半分ぐらいしか進まない年もあった・・・。
そして遂には、「教えるべき事を教えないからそんなに早く進むんだろー(怒)」、「そんなにテキスト早く終わらせたいのかー(怒)」と他の英語講師を批判し、遅い自分を正当化し始めた。他の先生が(特に難しい所を)どのように教えているのかが心配で気になってもいるようだ。
講習では師が間に合わないと感じたらプリントを配って済ますこともある。
習ったその日から"毎時間成長してゆく自分を体感出来る"というよりかは、既習事項が大分揃ってから読解力が一気に伸びるという感じなので、難しい授業を必死で聴いているのに英語が読めるようにならないから要らない/無駄だ、と早い段階で授業を切ってしまう人が多いということである。だから通期で受けるなら粘り強く必死に付いて行って欲しいのだが、講習で受講するだけならむしろ自分の英文理解に対する謎が深まるだけかもしれない。と言うのも、1時間授業を受けて大変かもしれないが相当復習して全て理解した上で次の授業を受ける、これを続けて一年間理解の上に理解を積み重ねていくのが必要で、短期間で今までとは全く違うことを一気に詰め込まれても消化し切れない可能性があるからだ。しかし、師自身は講習期間だけで学力が伸びることはないが、勉強のやり方、方向性を定めてやることは出来ると言っているので、受講するなら出来るだけ早い季節の講習にするのをお勧めする。
板書において、品詞による括弧の使い分けや色分けを殆どしない(白と黄色のみ)ので、授業中は困らないのだが後からノートを見直した時に分かりにくくなるかもしれない。括弧毎に色分けすると良いだろう。
文章そのものを徹底的に解読していくので、テキストをコピーして、そこに板書を書き込んでいくというやり方は止めた方が良い。というより絶対に書き切れない。(そこは桜井先生と同じ)
師も授業中に、「テキストをコピーして書き込んでいくなんて絶対に出来ないよねー。」と言っている。これはこのやり方を勧めないだけでなく、本文に(駿台特有の)括弧を書き加えて授業を進めていく講師を暗に批判しているとも読み取れる。
質問対応は良く快く答えてくれるが、そうするだけでは彼の教える英語そのものを理解したことにはならないだろう。
意外と英作文の添削もしてくれる。
授業の始めに2次の長文(一橋大、京大が多い)や文法のプリントをくれる。解説も青本以上に詳しく、重要単語(発音、アクセントも)/表現(例文も)までまとめられている超優れもの。しかもそのプリントはただ適当に配っているのではなく、その日の授業で学んだことが出て来る(=活かせる)ような英文が含まれているため、師の気遣いが見て取れる。
構文の授業では〈構文〉→〈Word&Phrase〉(〈W&P〉)→〈意味の骨格〉(〈イミの骨格〉)の順で進められる。
読解に関して、論理的に文章を解読する。
そのため、後付の説明や非論理的解釈方法を「インチキ」と呼んでいる。
読解では文脈が最も大事らしい。他の英語講師が重視する「対比」や「言い換え」は殆ど触れることがない。「対比」や「言い換え」を使って読んでいくのは手抜きの授業らしい。そのように読もうとするのは単語の意味を全て知っている講師だからこそ出来るため、生徒達が読んでいく時には役に立たないからだそうだ。
「そんな解説に有り難味を感じるな!」
また完璧な読解を求めるため、「分からない箇所は飛ばして、大事な所だけを読もう」、「形で考える」などの読解を毛嫌いする。というか、どうしてそれだけで英語が読めるのか不思議に思っているらしい。
「ふっざっけんなよ!!」
読解の授業では、どこの大学の英語でも英文がしっかり読めていたらそんなテクニックめいたことなしでも答えが出せるからしっかり読解出来るようになろうというスタンスで、"正しく読む"ための方法を教える。
構文が分かるのは当然の必要条件らしくその後(意味の通る日本語に訳すの)が1番難しく大事で、自分が本当に読めているか(&点数が取れるのか)を確認するために予習で全訳することを強く勧める。
「構文が分かったって読めたことにはならないんだよっ!」、「構文が分かることと点数は必ずしも結び付かないんだよっ!」
そのため、構文の授業で構造分析しかせず、綺麗な日本語訳の仕方を教えるのをすっ飛ばす講師をめちゃめちゃ批判する。
記述の和訳に関しては訳し方などをテクニックとして法則化することを毛嫌いしている。
因みに師が訳を板書する時は、書くのが面倒臭い長いフレーズは最初の文字を〇で囲って済ますことが多いのだが、各自ノートに写す時は略さずにちゃんと書いた方が復習しやすくなる。
英語は言葉の意味が分かっていて初めて読めるものなので、言葉の意味も分からず訳そうとすることを無意味だと言い放っている。
「『(他の英語科講師のよく言う)見破れましたか?』じゃないんだよ!!」
ベストな日本語(老若男女が一読で理解出来る文章)を要求し、何でも前から訳そうとして指示語を連発したり、不自然な日本語、修飾-被修飾の関係がおかしいものを「稚拙な日本語」と批判する。
「こんな日本語喋ってる日本人連れて来いよ!(笑)」
もちろん師の模範訳例はとても綺麗である。
また、英作文はまるで英文そのものを読むかのような解答例を作る。薄先生曰く、「佐藤先生の英作文は類稀なる読書量がもたらしたもの」らしい。凡人には到底書けません・・・。
"使いこなせる表現で書く"という英作文の基本も批判する。「そんなことやってるからいつまでたっても幼稚な文しか書けないんだろ?もっと上を目指そうとしろよ!!」
また模範解答例も、「模範」なのだから1通りしか書かない。
教養が豊富で、あらゆる分野に精通している。特に科学論なるとやたらテンションが上がる。
また、高校時代は新聞部に所属しており全国で1位を取ったらしい。そのため、読み手に伝わりやすい文を作ることや、他人の文章を要約すること、タイトルを付けることには相当な自信を持っている。
師曰く教えられることは有限らしい。
例え話には大概「ヨシオ」君が登場する。
「うちのヨシオも、英語科の佐藤とかいう先生に教わってとうとう頭がおかしくなったのねー。」←半分合ってて半分間違い。
「逆行代名詞化」「be超え前置」「相関構文」「連結辞」「副詞的対格」「連鎖節」「目的格属格」「付加詞」「無生名詞所有格」etc.
聞いたことない人が多いのではないか。師はこの英語教育の悲惨な状況を批判している(=これ位知っとけよ、教えろよ)。
というのも、師がこれらのことを模試の下線部訳で出したところ、出来が相当悪く平均点が物凄く低かったらしい。この結果から、他の英語科講師はこれらのことを教えていないと確信したのだそうだ。また、案の定その試験で平均点が物凄く低かったため、上層部に「これじゃあ差が付かないだろー!」と怒られたらしいが、そこは「すいませーん」と適当に謝っといたらしい。
彼も表先生同様、伊藤和夫氏を批判しまくる。
伊藤和夫氏のいわゆる四角括弧を使うが、それは本人曰く「意味のまとまりを表す」括弧であり、他の英語の先生が用いる「名詞のかたまり」ではない。同じ使い方をしている時もある。
LONGMAN英英辞典はアメリカの小学生が使う辞書だと批判する。
暴走し出すと構文の解説に「キンコン、キンコン」、「ピュン、ピュン」などの効果音を入れ出しカオスな授業へと化す。腹筋崩壊フラグである。
進度が遅い故かチャイム恐怖症である。雷を聞いた仔犬のようにビクッとすることもある。
「おじさんは何で英語が出来るのかって?」
「こういう勉強を中学1年生の時からしてきたかっ?してないだろー!」
「グッモーニング!、ハゥワァーユー!(笑)」
「名詞節だからOじゃないんだよ!Oだから名詞節なんだろ!インチキするんじゃないよ!」
「そんなことをやってるからいつまでたっても英語が出来るようにならないんだろー!」
「そうやって勉強してっかー?」
「そうやって教えてもらいましたか?」
「こっとばのべんきょー」
「これが勉強するってことだろぉ!」
後期の終講にて「テキストは沢山残っちゃいましたがー(笑)、君達に教えるべきことは教え切りましたー。だから大丈夫です!安心してください。」
因みに、先生と言われるのが嫌い(先生と呼ばれる奴にろくな奴はいない:本人談)なので、佐藤、佐藤さん、佐藤先生と呼ばないと無視されます(笑)

  • 最終更新:2020-04-27 21:41:56

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